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著者もいうように、現状を「新自由主義の没落」とみるのは日本ローカルの発想であり、歴史学でも社会学でも大きな屈折点とみなされているのは、石油危機をきっかけとする「1973年の転機」である。これを機に「前期近代」まで有効だとされていたテクノクラートによる合理的支配がゆらぎ、福祉国家や大企業体制の限界が露呈した。経済問題でそれを象徴するのがスタグフレーションであり、それに対応して登場したのがレーガン政権などの「小さな政府」路線だった。
ところが日本はこの73年の危機をきっかけに世界市場でのプレゼンスを高め、スタグフレーションも経験しなかったため、欧米諸国が直面した「後期近代」への移行という問題に90年代になって直面した。日本の前期近代は、ウェーバー的な合理的支配というより、父権的な官僚と母権的な企業による「日本型福祉社会」だった。本来は国民負担でまかなわれるべき社会保障のコストを長期雇用などによって企業が負担したため、「高福祉・低負担」が実現したようにみえた。しかし90年代以降、その負担に耐えられなくなった企業が「やさしい母親」の役割を降り、海外移転や非正規雇用などによって資本の論理を追求し始めたため、格差や貧困などの問題が一挙に顕在化したのだ。
・・・と要約するとさほど斬新な話ではないが、よくも悪くも常識的な問題の整理だろう。著者もいうように、いま日本の直面している問題は、後期近代への過渡期の現象としての「自由と安定のジレンマ」であり、成長と分配のどちらをとるかという選択である。民主党のように後者をとるのも一つの戦略だが、それは成長を犠牲にし、分配の財源を枯渇させるリスクをはらんでいる。現実的な国家戦略は、このジレンマを直視することからしか出てこない。
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