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○「漫画版ナウシカ」のラスト
まず、漫画版ナウシカのラストに関して、ポイントになることを簡単にまとめたいと思います。
1. 腐海の生態系は、実は旧世界の人間が産み出したものだった。旧世界では、世界が汚染され、そのままでは人間が絶滅するしかないと思われた。そこで、「世界 を浄化するためのプログラム」の一貫として、遺伝子工学技術を使って、腐海の生物たちが作り出された。腐海の生物は、長い時間をかけて大地を浄化し、その 後には、(読者である)私たちが生きている世界と同じような、清浄で豊かな世界が産み出されることになっていた。
2. ナウシカの時代の人間は、腐海の毒に耐えられるが、清浄な世界では生きていくことができないように作り替えられていた。このため、清浄な世界では、短時間で血を吐いて死んでしまう。
3. こうした広大な「浄化のプログラム」を操っているのが、「墓所の主」だった。墓所の主は、憎しみや汚れのない新しい『人間の卵』を準備していて、浄化のプ ログラムが終了したら、憎しみや汚れのない人間が生きる世界を作りだそうとしていた。また、新しい世界では、「人間のもっとも大切なものは音楽と詩にな る」ため、そのための音楽や詩も保存していた。
(墓所の主は、「浄化のプログラムが終了したら、浄化されて世界に適応できる人間に作り替える(元に戻す)」と言っているが、ナウシカはそれを欺瞞 だとして否定している。直接は書いていないが、おそらく、『人間の卵』から新しい人間が作り出されるときに、生身の人間が必要で、ナウシカの時代の人間 は、そのための手段として生かされていたということではないかと思われる。)
4. ナウシカは、こうした墓所の主の構想に反発し、墓所を破壊するという行動に出る。このために、巨神兵であるオーマを使う。
ほかにも、いろいろ説明しないといけないことがあるのですが、以上もっとも重要な前提です。これ以外のことについては、話の中で随時説明することにしましょう。
○墓所の主は何のメタファーか
ナウシカへの評価は、 結局、そこにどういうメタファーを感じ取るか、 つまり、身の回りのどういう問題に 対応させて理解するか次第だと思います。だから、究極的には人それぞれの解釈ということになるわけですが、当時の時代状況を踏まえて「一般的な解釈」とい うのは存在すると思います。
そういう意味からすると、「墓所の主」の発想は、一言で言えば、世界をある一つの視点でのみ理解して、それに反するものは排除していくという発想と言えるでしょう。これは、決してナウシカの物語の中だけの問題ではなく、現実の社会のさまざまな問題と重なっています。
おそらく、作者が想定したのは、直接的には、マルクス主義的なユートピア思想(マルクス主義革命によってユートピアが訪れると考える)や、科学技術 絶対論(科学技術こそが人間を幸せにする)のようなものだったと思いますが、他のさまざまな問題にも言えることです。特に、論理主義(全てを論理的に理解 できるものと考える)、規約主義(「~しなければいけない」という規約で、正義や道徳が説明できると考える)は、現代社会の多くの問題の根底にある大きな 問題と言えるでしょう。
このことは、ナウシカが「墓所の主」に向けて言ったセリフ「(お前は)神というわけだ お前は千年の昔 沢山つくられた神の中のひとつなんだ そして千年の間に 肉腫と汚物だらけになってしまった」「浄化の神としてつくられたために 生きるとは何か知ることもなく もっともみにくい者になってしまった」からも読み取れます。この方面の議論に疎い人はピンと来ないと思いますが、「神の視点」という言葉は、論理主義や規 約主義のような立場を批判的にとらえるときに、好んで使われる言葉だからです。
これは、ナウシカのストーリー全体で、「多神教」の宗教が肯定的に取り上げられていることも関係しています。キリスト教やユダヤ教の神は「たった一 つの神」であり、哲学・思想の分野では、しばしば、論理主義や規約主義のように、自分に当てはまらないものを排除していくことの譬えとして使われます。こ れに対し、多神教的な神(ギリシャ神話もそうだし、日本の神もそう)は、そうではないとされます。「私達の神は 一枚の葉や一匹のムシにすら宿っているからだ」「私たちの身体(からだ)が人工で作り替えられていても 私達の生命は私達のものだ 生命は生命の力で生きている」とナウシカが言っているように、論理的に見たら、さまざまな矛盾を抱えている「生命」の営みを肯定するものなのです。
ナウシカの世界の「墓所の主」と異なり、現実の「墓所の主」(世界をある一つの視点でのみとらえて、それに反するものは排除していくという発想、た とえば科学主義や論理主義)は、ナウシカの「墓所の主」ほど、発達していないし、現在の人類を絶滅させて「憎しみのない人間」に置き換えるほどの技術も持 ち合わせていないわけですが、それにもかかわらず、「墓所の主」のように奢り高ぶっている。それが、ナウシカを通して批判されている現実の問題なのです。
○ナウシカの葛藤
だから、
「生き物を殺すことは許されない」
→だから墓所の主を殺すのも間違っている
「自分が正しいと思うことを一方的に突き通す姿勢は間違っている」
「もっと矛盾を受け入れて生きていくことが必要」
→だから、墓所の主も受け入れないといけない
こういってナウシカに批判的な人は、いろんな意味で「読み違い」をしているのではないかと思います。「いろんな意味で」というのは、ナウシカのストーリーに対する読み違いと同時に、現実の社会に対する読み違いという意味です。
なぜなら、ナウシカは、まさにそういう問題を踏まえ、そのために墓所の主を破壊するという行動に出たからです。ナウシカ、「生き物を殺すことは許さ れない」と思ったからこそ、生き物を手段として使う墓所の主を破壊しようとしたわけだし、「自分が正しいと思うことを一方的に突き通す姿勢は間違ってい る」「もっと矛盾を受け入れて生きていくことが必要」だからこそ、矛盾を受け入れない墓所の主を破壊しようとしたのです。
しかし、勘の良い人はすでに気づいたと思いますが、このことは、ナウシカが、ある深刻な葛藤に置かれていたということを示しています。それは、「矛 盾を受け入れないといけない」と言いつつ、そのために「墓所の主」という矛盾は否定せざるをえないという葛藤、また、「さまざまな考え方を受け入れないと いけない」と言いつつ、「墓所の主」は否定せざるをえないという葛藤、「生命の尊重」と言っておきながら、墓所の主を殺さざるをえないという葛藤です。
これは、次の3点にまとめることができるでしょう。
・生き物を殺すことは許されない」というとき、もし、生き物を何かの手段として平気で殺して、絶滅させてしまおうというような存在(考え方)があったとき、それにどう立ち向かっていけば良いのか?
・「自分が正しいと思うことを一方的に突き通してはいけない」というとき、自分が正しいと思うことを一方的に突き通して、そのために、現在生きている生命をも絶滅させようという存在(考え方)に出会ったとき、それにどう立ち向かっていけば良いのか?
・「矛盾を受け入れて生きていくことが必要」というとき、世界から、一切の矛盾を否定して、矛盾を撲滅しようという存在(考え方)、そのために現在生きている生き物を絶滅させようという存在(考え方)にどのように立ち向かっていけば良いのか?
これはいずれも、「相対主義のパラドックス」と言われている問題であり、現代思想の根底にもあると言える非常に大きな問題でもあるのです。ナウシカはこの大きな問題に真正面から取り組んだと言うことができます。
実際、「ナウシカの葛藤」は、物語の中で、かなり意識的に取り上げられています。たとえば、ナウシカは、戦争の原因となっている「怒り=自分の考え を一方的に押し通す力」に批判的であるにもかかわらず、「怒り」による世界の支配に立ち向かうためには、自分自身も怒りを持たないことを意識するという葛 藤が繰り返し出てきます。また、最後に、「墓所の主の血はオームより青かった」、つまり「墓所の主も同じ生命であった」ということが分かるシーンがあるの も、「ナウシカの葛藤」を象徴的に表す出来事と言えるでしょう。これは、現実の世界で、「墓所の主」のような考え方、思想、宗教と闘おうとすると、結局、 生身の人間を否定せずにはいられないということと対応しているのです。
では、ナウシカは、こうした葛藤をどのように克服したのでしょうか。実はナウシカは、「ナウシカの葛藤」を克服などしていません。むしろそこでは、 こうした葛藤を避けて矛盾を排除するような考え方(論理主義的な思考)が、「墓所の主」に象徴されるものとして、批判されているのです。
たとえば、ナウシカでは「生命の尊重」がテーマになっています。しかし、そこで言われているのは「生命を殺してはいけない」という規約・戒律(倫理 原則)ではありません。私たちは、ともすると「生命の尊重」を「生命を殺してはいけない」という規約・戒律(=墓所の主のような発想)で理解してしまうわ けですが、ナウシカで表現されているのは、「倫理原則=矛盾の排除」となる前の、もっと原初的な「生命の尊重」なのです。ナウシカでは、ムシ使い達が、ム シの卵を食べたり、ムシを殺したりするシーンがあると思いますが、森はこれを受け入れているというのが、その例でしょう。
ナウシカの行為を矛盾しているという人がいるかもしれませんが、ナウシカは、そういった葛藤を受け入れて生きていく生き方を選択したという意味で、 実は全く矛盾していないのです。「相対主義のパラドックス」は「墓所の主」のように論理的に、一面的にものごとを理解する立場からは簡単には解決すること ができません。しかし、ナウシカは「生きること」に注目することで、「相対主義のパラドックス」を乗り越えているのです。
○ナウシカとニヒリズム
このことは、ナウシカのもう一つのテーマである「虚無」とも深く関係しています。
墓所の主はナウシカを批判して「虚無だ!!それは虚無だ お前は危険な闇だ 生命は光だ!!」と言います。これに対してナウシカは反論します。「違う いのちは闇の中のまたたく光だ!!」「すべては闇から生まれ闇に帰る お前達も闇に帰るが良い!!」。ナウシカは、「虚無」を肯定するのです。
知らない人が見ると何を言っているのか分からないと思いますが、これはいわゆる「虚無主義(ニヒリズム)」の問題そのものです。ニヒリズムという と、通俗的には「すべての価値を否定して絶望の中に生きる生き方」という意味で使われる場合が多いと思いますが、これは本来の意味ではありません。ニー チェの言う(本来の)ニヒリズムは端的に言えば、「自分の生きる価値が何ものかによって与えられる否定して、生きるこのそのものを肯定していく生き方」と いうことです。両者を区別する場合は、前者の生きることに絶望するようなニヒリズムを「受動的ニヒリズム」、後者の生きることそのものを肯定するようなニ ヒリズムを「能動的ニヒリズム」と呼びます。
これを前提にして考えると、ナウシカは途中まで、「受動的ニヒリズム」に悩まされるが、墓所の主と対峙するに至って、「能動的ニヒリズム」に目覚め るというストーリーになっているということが分かるでしょう。物語の途中で繰り返し、ナウシカが「虚無」に悩まされるシーンが出現するのは、ナウシカが能 動的ニヒリズムに目覚めるためのプロセスなのです。
ニヒリズムの特徴は、「何か別のものによって、自分の価値が決められる」ということを否定するということです。ニーチェは、ニヒリズムを、「苦しみ に耐える」ようなキリスト教道徳の否定という形で象徴的に表現しました。「私達の生が、キリスト教の神によって初めて価値づけられる」というキリスト教道 徳に対し、「(神がいなくても)生きることそのものが肯定される」というのがニーチェのニヒリズムなのです。これは、ナウシカが「墓所の主=神」を破壊し ようとした、根本的な問題意識でもあるでしょう。ただ、ニヒリズムは、「神の否定」だけを意味するわけではありません。「論理主義な考え方(矛盾を排除す るような考え方)を基準に自分の価値を決める」生き方に対して、「生きていく上での喜び、苦しみ、そこからくる葛藤を、そのまま肯定していこうよ」という のもニヒリズムです。ナウシカにおいて、墓所の主=神というのはあくまでメタファーであり、現実社会に当てはめれば、こうした「(社会の矛盾の源泉となっ ている)論理主義的な発想の否定」という側面が大きいのではないかと思います。
つまり、ナウシカは、墓所の主のように論理主義的な考え方によって初めて人間の価値が見いだされるような生き方を拒否し、「自分の生そのものを肯定する」「自分の中の葛藤もそのまま受け入れていく」能動的ニヒリスト、ニーチェの言う「超人」としての道を選んだわけです。
余談ですが、ニーチェのニヒリズムは、「他者と同じであることに価値を置く」ことの否定でもあるので、「個人主義」との関連で理解されることが多い ようです。ただ、ニヒリズムを「個人主義」というのは、かなり誤解を招く表現です。なぜなら、ニヒリズムを「個人主義」と言ったとしても、周囲の人のこと を考えないわがままな生き方を指すのではないからです。能動的ニヒリズムは、自分が生きていくことによって、周囲の人の素晴らしさ、人間関係の大切さを見 いだすということも含むのであり、通俗的な意味での「個人主義」とは大きく違います。ニヒリズム=通俗的な個人主義と考えるのは誤りだし、これを基準にナ ウシカの「虚無」の概念を理解してはいけないのです。
○ナウシカの生き方
さて、「ナウシカの葛藤」に話を戻したいと思います。
「生きることそのものを肯定し、葛藤を受け入れて生きていく」と言っても、葛藤そのものがなくなるわけではありません。実際、ナウシカの作者は、ス トーリーのさまざまな場所で、「ナウシカの葛藤」、そしてそれを受け入れて生きていくことの苦悩を取り上げているわけであり、ナウシカの葛藤を受け入れる ことが簡単ではないのは明らかでしょう。これは、ナウシカが正しく理解されない最大の理由ではないかと思います。ナウシカの葛藤を受け入れるということ は、自分自身の生き方の中で、こうした葛藤を受け入れて生きていくということであり、それは決して簡単なことではないからです。
ただ、私たちはナウシカそのものになれないにしても、現実の世界で、ナウシカと同じような葛藤と向き合い、その中で生きていくことはできます。自分 の身の回りの人間関係の問題、自分の生き方の問題、社会の不条理、こうした問題に向き合ったときに、既成の価値観に逃げることなく、まさに自分が生きる上 での問題として立ち向かっていく、そういう生き方はできるはずなのです。そしてそれこそが、私達にとっての「ナウシカの生き方」と言うことができるでしょ う。ナウシカが提起した問題は決して架空の世界の問題ではなく、まさに私たちが生きていく上での問題なのです。
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